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昭和47年、松陽高校は62校目の県立高校、当時の戸塚区内では柏陽高校に次いで2校目の県立高校として誕生しました。
昭和55年学区改編(56年度実施)により、横浜西部学区となり、また、昭和61年11月3日に戸塚区から分区して泉区が独立し、本校は緑豊かな田園の景観に恵まれた郊外区である泉区内の県立高校として現在に至っています。
「松」は常緑樹で色を変えず、常に葉が繁っています。人の節操があることにたとえられます。松柏之茂(ショウハクノシゲリ)とは永く栄えることをいいます。「陽」は太陽。陽には積極的なものをあらわす字義もあります。「松・陽」の二字に託されて校名が命名されました。
校章は、校名の「松」と「太陽」とを組み合わせたものです。3組の松葉は、知・情・意の調和のとれた質実剛健清楚な人間形成を表し、太陽は、理想をめざすたゆまぬ向上心を象徴しています。