更新日:2022年10月6日

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1.校主 秋山 博について

 

秋山博先生レリーフ

秋山 博先生レリーフ(銅製)

100周年記念事業で、本校舎玄関入ってすぐ左手に設置された。

ボタンを押すと音声ガイドが流れる。

  

 校主秋山博は、1863(文久3)年10月14日に金目村の近く大住郡矢崎村(現平塚市岡崎)に生まれました。

 12歳頃に天然痘によって失明しましたが、金目の鍼師の與野竹次郎の弟子となりました。勘が悪いと師匠に言われていたものの、努力によって名鍼師となりました。そして1883(明治16)年には、20歳で現在の「金目駅バス停」付近で鍼灸院を開業しました。

 そして1889(明治22)年から同業者の資質向上を目指して「鍼学講習会」を佐藤利信と月1回開くようになりました。盲人は貧しい人が多かったのですが、多くの支援者の援助によって、講習会は会員を増やし、20年以上続きました。

 1910(明治43)年4月9日には、「講習会」を母体とした「私立中郡盲人学校」を開校させました。この時の生徒は7名、校長には伊達時が就任し、秋山は「校主」となりました。秋山は亡くなるまで無償で実技を教え続けたということです。

 秋山は盲人学校の運営と実技指導を行いながら、鍼治療師としての仕事も続けていました。その腕前は当時の雑誌「婦人世界」で紹介されたこともあり、来院者はさらに増え、金目の地に宿泊所ができるほどにぎわったということです。

1913(大正2)年には、功績をたたえられ、県より表彰されました。しかしながら、肉体的な疲労や心労からか、1918(大正7)年3月22日に逝去されました。54歳でした。

 秋山の墓所がある寂静寺では、「金目エコミュージアム」(外部サイトへリンク)によって、毎年春分の日に秋山を偲び「墓前祭」が行われています。