特色 > プログラミング教育研究推進校の取り組み
更新日:2024年11月27日
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「プログラミング的思考の演習」について講演される今野先生
シンキングツールのXチャートのアイデアをボーン図に組み替える様子
全職員が参加し、グループ毎に分かれてまとめたアイデアを発表し合う様子
<研修を企画した情報科教員の所感>
今回のプログラミング教育の研修会では、プログラミング的思考を取り入れたワークショップを明星大学の今野貴之准教授に開催していただいた。プログラミング的思考についての講演を受けた後で、プログラミング的思考の演習が行われた。演習では、シンキングツールのXチャートにまとめたアイデアをボーン図に置き換えるワークショップが行われたが、この過程で起こる、「見通しをもった試行錯誤」こそがプログラミング的思考であると感じた。来年度は、本校の全教科で深い学びを実現のために、こうしたプログラミング的思考を取り入れた授業実践の検討などを行ってきた。
カップラーメンの作り方を手順化しようということで、用意されたカップ麺
カップラーメン作り方をフローチャートで表現した内容について、フローチャートで表現する意義を説明する勅使川原先生
最後に本校音楽科教諭、長谷部先生よりiPadのアプリGarageBandの実演
<研修会を実施した勅使川原先生の所感>
今回は、「モノ・コトを達成するための手順を、流れ図を使って整理・表現してみよう」と題して研修会を実施しました。カップ麺の作り方を題材に、実際に流れ図に書いてみて実験してみましたが、流れ図どおりの動きだけでは、食べることができませんでした。簡単に作れるはずのカップ麺ですが、手順を表現していると実に難しいことかを体感してもらうことができました。「誰かに頼みごとをするときに、どのように伝えるといいのか」。頭の中で順序だてて、その結果を相手に伝えています。頭の中で考えたことを言葉で表現するということは実はとても難しいです。
このような能力は、特別な科目だけで身につく「特別なもの」ではなく、すべての科目や学校生活、日常生活での様々な経験や知識を得た上で身に付けられる「論理的思考能力」だといっても過言ではありません。「プログラミング教育」と聞くと、「C言語やJAVAなどのプログラム言語を教えること」、「パソコンを使って何かをすること」と勘違いされ、「私の科目には関係ない」と敬遠されてしまいます。しかし、論路的能力の育成にはどの科目も必要不可欠です。今回の研修のアンケートの中に、「自分の科目でもできそう」というものがありました。そのことに気がついてもらえただけで、実りある研修会になったと思います。今後も研修を通じて、多くの先生方に「自分の科目でもできそう」な部分を1つでも多く見つけてもらい、実際に授業で実施してもらいながら、学校全体で取り組んでいきたいと考えています。
次期学習指導要領について講演される益川先生
知識構成型ジグソー体験の様子
「どこに城を建てるのか」を地図を見て考えるジグソー体験から出てきた答えをプログラミング的思考でまとめる
<研修に参加した情報科教員の所感>
次期学習指導要領がどのような背景から作られているのかについて、実際に携わっている益川准教授から貴重な講演を聞かせていただきました。また、次の世代に必要とされる能力を育成するための手法として、知識構成型ジグソー法を体験し、その内容ををプログラミング的思考に落とし込む活動を体験することができました。「プログラミング教育」と聞くと、どうしてもコーディング(プログラミングコードを記述すること)をイメージしてしまいますが、このような考え方なら、他教科にも普及することができるなというヒントになりました。この研修会後、校内で音楽科教諭が知識構成型ジグソー法を取り入れた授業を実践したり、非常に高い研修成果を得ることができた研修会でした。
研修用にセッティングされたiPadとレゴマインドストームEV3
iPadでレゴマインドストームEV3を動かすプログラムを作成
作成したプログラムを本館らせん階段にて実習
<研修に参加した副校長の所感>
プログラミング教育の最終目標が、コンピュータにプログラムを入力することであると考え、自分にできるのか、本当にやらねばならないのか、と危惧する職員は少なくないのだと思われるが、今回の講演では、われわれや生徒に今課せられている課題についてわかりやすく説明された。何より体験を通じてプログラミングを理解し、論理的な思考力を身に付け、達成感を得られたことで、職員がプログラミング教育に進む勇気をいただけた。今年度は教科「情報」での研究が中心となるが、次年度以降、他教科でのプログラミング教育の実践についても講師等からの協力を得ながら進めていく展望が開ける研修であった。