小田原高等学校 全日制 > 学校概要 > 学校沿革
更新日:2024年5月13日
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文政5年 | 藩主大久保忠真のとき、小田原藩の藩校として文政5(1822)年に開設。 当初、「諸稽古所(しょけいこしょ)」と称されたが、後に「集成館」と命名 |
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明治2年7月 | 校名は「諸稽古所」あるいは「集成館」から「文武館」に改名。 |
明治4年9月 | 廃藩置県が実施され、小田原県となり「県学校文武館」となる。 |
明治5年4月 | 県費による学校の維持が禁じられ、「県学校文武館」は廃止となり、約50年間続いた藩校「集成館」は、正式にその幕をおろした。 |
明治5年4月 | 柏木忠俊足柄県参事の尽力により、小学校「日新館」が県学校文武館跡に、中学校「共同学校」が大久保家旧邸(現在小田原市南町三丁目)に開校。 |
明治6年4月 | 学制の実施により、日新館を公立小学校に改める。 |
明治7年11月 | 資金難が続いたため共同学校は、廃止される。 |
明治8年1月 | 共同学校の校舎をすべて、公立学校講習所花園学校のものとなる。 |
明治9年3月 | 小田原講習所花園学校の予科英学を廃止し、代りに中学科を置いた。 |
7月 | 小田原講習所中学科を、神奈川県の最初の県立中学校である小田原師範学校と改称。 |
明治12年10月 | 財政上の理由から、小田原師範学校は廃止される。 同学校内に「中学予科」を設置することを県へ願い出て許可された。 |
明治12年11月10日 | 相模六郡共同で、廃止された小田原師範学校の校舎・敷地等の引き渡しを受け、六郡共立小田原中学校を開校。 |
明治19年2月 | 住民負担が重く、共立小田原中学校は休業後、廃校。 |
明治34年4月1日 | 神奈川県第二中学校が開校し、小田原の中等教育が再開される。 |
明治33年4月25日 | 文部大臣、神奈川県第二中学校を小田原町に設置し明治34年4月より開校することを認可。 |
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明治34年4月1日 | 神奈川県第二中学校、小田原町緑4丁目(現東海道線小田原駅)に開校。 初代校長吉田庫三(くらぞう)先生。 |
4月28日 | 開校式挙行(この日を開校記念日とする)。 |
5月17日 | 神奈川県立第二中学校と改称。 |
明治37年11月5日 | 吉田庫三校長が和歌山県視学官として転任。 後任校長に、首席教諭(教頭)の阿部伝先生が任命される。(後に宗孝と改名) |
明治44年4月 | 『至誠無息』(山県有朋書)の扁額を講堂に掲げ校訓とする。 『堅忍不抜』(東郷平八郎書)は大正3年頃掲げ校訓とする。 |
大正2年4月1日 | 神奈川県立小田原中学校と改称。 |
大正3年3月11日 | 深夜、原因不明の出火。雨天体操場・教室1棟・渡り廊下等を焼失。 |
6月19日 | 八幡山に新校舎2棟落成。移転式挙行、「鎮遠の鐘」を時鐘とする。 |
昭和3年10月20日 | 校歌制定。 |
昭和23年4月1日 | 新制高等学校実施につき神奈川県立小田原高等学校と改称。 |
9月2日 | 校章を「神中」から「樫の葉」に変更。 |
昭和33年10月4日 | 女子生徒基準服決定。 |
昭和46年3月30日 | 本校樹叢、県指定天然記念物に指定。 |
昭和55年4月5日 | 米国から初めての留学生を受け入れ。 |
昭和63年3月19日 | 米国ホイットマン高校を第1回親善訪問。 |
平成元年3月22日 | ホイットマン高校生徒一行来校。 |
平成2年5月1日 | ホイットマン高校を第2回親善訪問。協定書を交わし姉妹校関係樹立。 |
平成11年11月11日 | 「県立高校改革推進計画」により、小田原高等学校と小田原城内高等学校が平成16年度に単位制普通科高等学校として再編統合して新校となることに決定。 |
平成13年11月17日 | 創立百周年記念式典挙行。 |
平成14年4月1日 | 制服の変更(平成14年度入学生より適用)。 |
6月8日 | サテライト授業導入。 |
平成15年4月1日 | 県教育委員会より、学力向上実践推進校に指定される。 2学期制7時間授業開始。 |
明治36年4月10日 | 小田原高等小学校女子補習科開校。 |
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明治40年8月23日 | 小田原町立小田原女学校開校。 初代校長に阿部伝校長就任。(神奈川県第二中学校校長と兼任) |
10月28日 | 開校式挙行(この日を開校記念日とする)。 |
明治41年8月25日 | 小田原町立小田原高等女学校と改称。 |
明治44年7月21日 | 幸1丁目108番地に新校舎落成。 |
昭和4年9月1日 | 幸1丁目900番地に新校舎落成移転。 |
昭和23年4月1日 | 神奈川県立小田原女子高等学校と改称。定時制課程併設認可。 |
昭和25年4月1日 | 神奈川県立小田原城内高等学校と改称。 |
5月10日 | 定時制宮城野分校開設。 |
昭和32年2月1日 | 定時制宮城野分校を箱根分校と改称。 |
昭和37年6月7日 | 幸1丁目872番地(現在地)に移転。 |
平成4年4月1日 | 外国語コース設置。 |
平成12年3月31日 | 箱根分校閉校。 |
平成14年4月1日 | 制服の変更(平成14年度入学生より適用)。 |
平成15年10月25日 | 建学百周年式典挙行。 |
平成16年3月21日 | 全日制完校式。 |
3月25日 | 定時制閉校式。 |
平成16年4月1日 | 県立高等学校改革推進計画に基づき、「神奈川県立小田原高等学校」と「神奈川県立小田原城内高等学校」が再編統合されるとともに、「定時制の課程」が併置された。 |
平成19年3月 | 新校舎落成。 |
平成19年5月10日 | 県教育委員会より、学力向上進学重点校に指定される。 |
平成19年5月26日 | 新校舎落成記念式典挙行。 |
平成20年3月 | 旧校舎除去完了・南館改修完成。 |
平成22年3月17日 | 運動場完成。 |
平成24年3月 | 部室棟(樫葉館)完成。 |
平成25年2月5日 | 弓道場(樫誠館)完成。 |
平成25年7月11日 | 「国際バカロレアの趣旨をふまえたグローバル人材の育成に向けた後期中等教育プログラムの研究開発」の指定を受ける。 |
平成28年4月1日 | 県教育委員会より、学力向上進学重点校エントリー校に指定される。 |
県教育委員会より、グローバル教育推進校に指定される。 | |
平成29年4月1日 | 70分×5コマの授業展開開始。 |
平成31年4月1日 | 県教育委員会より、理数教育推進校に指定される。グローバル教育推進校の指定終了。 |
令和2年4月1日 | 65分×5コマの授業展開開始。 |
令和2年11月20日 | 創立百二十周年記念式典挙行。(新型コロナウイルス感染症の感染拡大防止のためオンラインで実施) |
令和5年4月1日 | 文部科学省より、スーパーサイエンスハイスクール(SSH)[開発型:令和5年~9年]研究開発実施校に指定される。 |
令和6年4月1日 | 県教育委員会より、学力向上進学重点校に指定される。 |
<創立期の様子>
新蔵跡に建つ創立期の校舎
教職員写真(明治38年頃)
前列左から3人目が阿部宗孝第2代校長
7つボタン・紺色学生服(冬服)の生徒たち
明治時代に本校で使われた漢文、英語の教科書
神奈川県立第二中学校第2代校長
小田原町立小田原女学校初代校長
阿部宗孝(改名前:伝)先生
小田原町立小田原女学校開校記念(明治40年)
前列右から6人目が阿部初代校長、左上は周布県知事
講堂正面に掲げられた「至誠無息」「堅忍不抜」の校訓(大正3年頃)
「創立百周年記念式典」挙行(平成13年11月17日)