更新日:2022年9月26日

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在校生・保護者の方へ

PTA

児童生徒の保護者の話3

第3回「本多まゆみさんにお聞きしました」

このシリーズ第3回目は、本多正和さんのお母様の本多まゆみさんにお聞きしました。正和さんは、本校幼稚部から小学部に入学、その後、中学部、高等部普通科、高等部専攻科理療科に進学し(なんと17年間在籍)、あん摩・マッサージ・指圧師の免許を取得後、現在はマッサージ師としてご活躍中です。

視覚障害者の進路として、三療と呼ばれる鍼灸マッサージの業界は今でも最も重要なポジションにあるので、三療へ進んだ卒業生の保護者の方にお話をお聞きしてみようと思い本多さんにお願いしました。

 

盲:本多さんの場合は確か幼稚部からの在籍でしたよね。

本:正和の時はまだ3年保育になっていなかったのですが、幼稚部の前から教育相談ということで通っていました。うちは双子だったんですけど、兄の方が平塚市の通園センターに通っていまして、そこで、正和の方は目が不自由なので、専門の所へ相談したほうがいいと言われ、盲学校を訪ねてきたんです。初めのうちは、週に3回は盲学校、2回は通園センターということを繰り返していて、まだ盲学校に入学前だったんですけど、送り迎えをすれば預かってくれるようになったので、盲学校で正和をお願いして、私は兄の方と通園センターに行くようになり、年中の年齢になって、いよいよ盲学校の幼稚部に入学と言うことになり、それをきっかけに兄の方も普通幼稚園に入園という形をとって、そこからが始まりですね。

盲:じゃあ、本当に長いですね。

本:そうですね、本当に物心つく前から盲学校に来ていたんです。

盲:幼稚部から小学部へ上がるときに、盲学校以外の進学先は考えませんでしたか。

本:双子ということもあって、一緒にということも考えたんですが、でも専門的な学校ということで、例えば点字を覚えなくてはとか、そういう将来的なことを考えると、よっぽどサポートしてくれる体制とかが組めないことには小学校では難しいだろうと考えまして、で、やっぱり盲学校を中心にと考えて、一応交流教育で週に1回小学校に通うようにはしました。勉強の方は盲学校が中心で、普通の学校の経験は小学校の方でやっていくような形でした。

盲:交流していた当時の何か思い出はありますか。

本:今は交流っていうとボランティアの方とか専門の人が付いていてくれることもあるみたいですけど、あの頃は親が付いて行くことが前提でやっていたんで、一日付いていくのが大変でした。土曜日に交流していたから3時間だけだったので何とかなったけど、その3時間で私はへとへとになるくらいでした。でも、子どもはすごく楽しんでやっていました。

盲:交流はどのくらいまで続けましたか。

本:小学校2年生まで、ちょうど3人目の子どもが生まれる時期で、私に代わって主人が行ってくれたりもしました。それから、3年生になるときに藤沢に引っ越したので交流先も変わってしまって、少しだけ交流させていただいたんですけど、何か3年生くらいになると、子ども同士の関わり方というのも難しくなってきて、1、2年と一緒だったわけでもないので、難しくなってしまって、それで交流はあきらめて盲学校一本ということになったんです。

盲:当時、本人は何か言っていましたか。

本:あまり覚えてはいないんですけど、あの先生はこうだとかいうのは少しあったけど・・・、そうですね、勉強の進み具合でも遅れをとっているというのは全くなかったと感じていました。動きも、目に対してのことに気をつければ特に難しいことはなかったと記憶しています。

盲:小学校のペースだとどうしても難しいこともあったのでは?

本:そうですね。運動会とかも参加させていただいたんですけど、ダンスとかはどうしても難しいですよね。そういうところでは、私が後ろにくっついて一緒に踊るっていうようにやっていたんで、本人は何をしているのかわかってなかったんじゃないかなと思います。あと、1、2年生の頃はお兄ちゃんと同じ小学校がいいなみたいなことは言っていましたが、転校してからは、やはり盲学校の方がいいなという感じだったと思います。

盲:本多君の学年は4人いましたよね。盲学校としては、4人というのは多い方ですよね。

本:そうなんです。他の学年は一人とか二人くらいだったのにクラスに4人いたので、クラスの中で意見交換が成り立つ、多数決ができるというところでは、やっぱり4人いると活発だったみたいです。中学部に入ると新しい友達が入ってきたり、また部活をするようになると学年が上の人たちとも付き合うようになって、何かだんだんと自分の世界を作っていったようでした。

盲:そうですね、中学、高校生となると、どんどん自分の世界を作って、自立にも向かって行く時期だったんでしょうね。それでは、今、幼稚園とかもう少し小さいお子さんを持つ保護者の方たちに、視覚に障害のある子どもを育てていく上で、何かアドバイスのようなものはありませんか。

本:そんな、私から特に申し上げるようなことなんて特にないんですけど。

盲:例えば、こういうことはやった方がいいとか、私はこうしてきた、私はこういうことができなかったからこうした方がいいとか、私が気をつけていたことはこういうことでそれはよかった、みたいなことで・・・。

本:うちはたまたま双子だったので、二人を同じように育てなければと言う気持ちが強かったんだと思います。正和の目は不自由なんだけれど、不自由だからこんなことはできないんだというようにはあまり考えなかったんですね。確かに見えないがゆえにできないことはあるんだけど、そこは後ろから手を持って、手で教えてあげるとかそういうことでカバーして行こうという感じで、向かい側に双子の兄が居て、私が正和の後ろについて、手を持って何かをするというふうに、なんでも一緒にしていたと記憶しているんです。

盲:同じように育てたいと言うのはとても素敵なことで、本多さんのところはたまたま双子であったから同じようにという気持ちが特に強くあったと思うのですが、たとえ年が離れていてもやっぱり同じだと思うんです。人間が育っていくということは、みな同じように育っていくわけで、不自由な部分を周りで補っていく、自分で補えるような力が付くようにしてあげることが大切だと思います。たとえ目が不自由であっても同じように育てたいと言う気持ちでお育てになったのがよかったのだと思います。

本:目が不自由なのでできないこともあるけれど、でもその代わり、音に対しては敏感だったりということがあって、小さいときは誰々が車で帰って来たとか、どこどこに誰かが来ているみたいっていうふうに、情報を耳から拾うことはとても敏感だったので、そういうところを伸ばしていってあげたいと思って育ててきたように思います。今の若いお母さん方に、こうしなさいっていうのは全くないんですけど、ただ目が不自由だからってあまり悲観することはないのではないかなあって思います。今は、手を差し伸べてくれる方も多いですし、私たちの頃よりもっといろいろなところを利用できるようになってきているわけだから、自分ばっかりがつらいんだ、大変なんだということを思わないで、子どもに愛情を注いで育てていってほしいなと思います。

盲:最後の質問なのですが、これからの盲学校はこうあってほしい、ここだけは頑張ってほしい、こういうところは伸ばしていってほしいというようなことがありましたらお聞かせ願いたいのですが。

本:えーっ、もう本当にお世話になりっぱなしで、ここをこうしてほしいことって、多分、その時その時は思っていたのかも知れないですけど、今振り返ってみると、盲学校はそのまま残していただけたらという思いが強いですね。例えば、経験のある先生がどんどん異動になってしまう状況は避けてほしいですとか、あと何でしょう、そうですね、やっぱりそのくらいですね。

盲:現在、小学部には3名の子どもしか在籍していないんです。県内には、視覚に障害のあるお子さんは、まだたくさんいて、それは20年前、30年前とそれほど変わりはないんです。じゃあ、その子たちはどうしているかというと、地域の小学校に行っているんです。

本:えっ、じゃあ点字の勉強とかはどうしているんですか?

盲:それは、各校でそれぞれに対応しているんですが、ただ、例えば点字の指導といっても小学校の先生にとっては初めて指導するようなわけですから、かなり大変ですよね。

本:そうですよね。子どもにとって、点字とかの基本的なことを学んでからじゃないと難しいように思ってしまうんですけど。どうなんでしょう。

盲:私も基本的にはそのように思っています。でも、保護者の方にとっては、みんなと同じ小学校に通わせたい、みんなと同じ学校で勉強させたいという思いがどうしても強いんです。

本:私も気持ちはわかります。気持ちはわかりますが、みんなと同じ場所で勉強しながら、平行して目が不自由なことによる、点字だとか、歩行だとか、日常的ないろいろな基本的なことを学ぶことができるのであればいいのでしょうが・・・。そうも行かないでしょうし・・・。

盲:そうなんです。まず、子どもにとって学習する時間というのは限られています。学校で勉強できるのは5時間とか6時間なんです。ところが視覚に障害のある子どもが同じ内容を学習するには時間がかかるんです。でも、時間をかければ、そして視覚障害に配慮した学習を行えば、同じ内容を身につけることができるんです。例え小学校に視覚障害教育の専門家が居ても、小学校の教育を視覚障害に配慮した教育に変えてしまうことはできないんです。

本:ああ、そうですよね。

盲:最後に私の方が長々と愚痴みたいにしゃべってしまいましたが、今日はお久しぶりにお会いすることができ、また貴重なお話を伺うこともでき本当にありがとうございました。