平塚盲学校 > 学校生活 > 図書館 > 図書委員から

更新日:2022年9月26日

ここから本文です。

学校生活

施設利用

図書館

図書委員会から

  • 平成24年度図書委員長のYさんに、卒業を前に、このページに文章を残してもらうことにしました。

 

初めての指点字

「ダンセイノ エキインガ デンワデ レンラクヲ シテ イマス」

このごく短い会話は私にとって大きな意味を持つ、忘れられないものです。

生まれつき網膜の錐体が1種類しか充分に働いていないため、子供の頃から明るい昼間が苦手でしたが、校庭を自由に走り回る活発な子供でした。反響音を使うことで、路上駐車にぶつかることなどまず考えられず、横にあるのが生け垣なのかブロック塀なのかなどということも音から判断して、歩く時の目印にしていました。

ゆっくりと視覚と聴覚の障害は進行して、やがて白杖を持つようになり、補聴器を使っても場面によっては会話に支障が出るようになってきました。反響音が使いにくくなることで、横切った路地の数を数え間違えて、自宅周辺で迷子になってさまよいました。白杖を地面にこすらせ障害物にぶつけて歩くようになりました。それはまるで、大空を自由に飛んでいた鳥が、羽をむしられて、地を這う虫にされたような感覚でした。人生の歩き方が分からなくなってしまった気がしました。

昨年春、私は東京盲ろう者友の会を紹介していただき、将来について相談に伺いました。その帰り道、職員の方に最寄りの駅まで送っていただいた時のことです。

駅は高架になっているのでしょう。電車の行き交う音が空間に響き、アナウンスは音の固まりとなってわんわんと漂うばかり。私の補聴器は、音の飽和状態のなかでは無力となります。駅員のいるであろう方向に向かって声を出しました。

「すみません…ホームでの誘導と、新宿駅で小田急線への乗り換えのお手伝いをお願いしたいんですが」

伝わったかどうかを把握できないまま、じっとその場に立ちます、いつものように。きちんと伝わっていれば、やがて駅員が私の腕をつかんでくれるはず。私はじっと待つ、それしか術(すべ)を知りません。

現実の世界とは薄い膜で遮断されている感覚に陥ることがあります。人混みにいても透明人間に囲まれて暮らしているような孤独をしばしば感じます。

と、友の会の職員の方が私の両手を取って、駅員室の窓の桟にそっと置きました。そして指の上をゆっくりたたくのです。

『あっ、これ…指点字?!』

いましがた友の会の事務所で、盲聾者のコミュニケーション手段には、手のひらに指で文字を書いてもらう「手のひら書き」、触って読み取る「触手話」、そしてこの「指点字」などがあると教わったばかりでした。私はパーキンスブレイラーのキーに自分の指を置いた様子を思い浮かべました。

(右手…中指?『濁点』で…次、これは分かる…『タ』、だから『ダ』だ)

「だ?」

と声に出すとすかさず手の甲に、指で○を書いてくださいます。私は慎重に読み続けます。これを時間を掛けて何度も繰り返しました。ひとしきりして私は促されるままに、そこまでの文字をつなげて声に出してみました。

「ダンセイノ エキインガ デンワデ レンラクヲ シテイマス」

その瞬間、制服姿の駅員がきびきびと働く姿が、私の脳裏にはっきりと浮かんできたのです。手に触れずとも、そこには私と一続きの世界が存在することを確信しました。

この駅での経験以来、人とコミュニケーションを取ることに貪欲になりました。なりふり構わず、手のひらを相手に差し出して、指で文字を書いてもらって会話することをはじめました。聞き取れないことを恥ずかしく思うあまり、聞こえたふりをしてひとりで勝手に寂しがるのは、もうよそうと心に決めました。ひとりで行かれなくなった場所を数えるのはやめて、初めての場所へも通訳介助員の制度を利用して出掛け、道中は手のひら書きでのおしゃべりに興じるようになりました。地元の盲ろう者友の会に入れていただき、コミュニケーション学習会では盲聾者や聾者とも覚え立ての手話や指点字のスキルを駆使しておしゃべりするようになりました。私はこれからもずっと人の真ん中で生きていきたいとより強く願うようになりました。

視覚障害が進行していったん墨字を失い、自分の文字として新たに点字を得ました。聴覚障害が進行した今、おもしろいことに私の手のひらでは再び墨字が大活躍、手の甲の指の上では新しく覚えた指点字が私と外の世界とを結びつけてくれています。このふたつの文字は今、自分が確かにこの世に存在しているという実感を与えてくれる、生きる意味であり希望そのものなのです。