更新日:2024年8月20日

ここから本文です。

校訓

「礼節 信義 根性」

校訓について(初代校長 小泉隆 談)

校訓中庭新

「昭和38年11月、本校が創設されて間もなく、校訓を定めるべく、よりより協議したものである。何れの学校の校訓をみても、なかなかむずかしい標語か、ないしは陳腐なもので、額入れのまま飾って役にたたないものが多いように見受けられる。そこで簡単にして、かつ実行可能なもので、本校の特色を十分発揚出来るものを眼目に、「礼節」「信義」「根性」の三項目を掲げたのである。礼節は古めかしいありきたりの言葉で、改めて言を弄するまでもないが、そのわかりきったことが、実際には実行出来ないのが現状である。社会の秩序に従い、人として当然実行すべき道が礼であるなら誰しも当然可能なはずだが、なぜ可能でないのか。根本的に言えば形式的には礼について知っていても、本質的には体得していないということである。(中略)

当り前のこと、やさしいことが、どうして身につかず、他人ごとのように考えられるのか。(中略)人間が互いに共同生活を営む上に欠くことの出来ない、またすべての基盤となるものが礼であると確信する。学問をするにせよ、運動に励むにせよ、礼の精神を涵養しなければその成果を期しがたい。そういう意味あいから、先ず礼節を掲げたのである。

昭和40年〈1965)8月16日(月曜日)相高新聞第5号より抜粋

昭和48年(1973年)創立10周年記念庭園 枯山水に校訓を表現

 

枯山水

「本校の創立10周年を記念して、体育館とA棟の間に、日本風の枯山水の庭園が造られた。体育館側に時代劇の舞台を思わせる御簾垣が建てられ、その前に大きな四国石が左図のように配置され、地面にさび砂利を敷いた立派なもので、本校にふさわしい庭園である。相原高校の峰尾幸友先生の設計で、この庭は下図のように、本校の校訓を表現しているのである。
右の三つの右が「礼節」を、中央は、どっしりすえられた大きな石を中心に「根性」を、そしで左側のニつと、真ん中の飛び石が「信義」をそれぞれ表している。
飛び右が信義を表しているのは、人が飛(跳)んで歩くところ、つまり人と人とのふれあいにおいてお互い、心もことばも一致した真心をもとうという意味である。川の流れにたとえれば、右側が上流で、左の方へ水が流れているのである。礼節が人間精神の大本であるとすれは、信義・根性がその具象であるとも言えよう。
この度園の完成を機会に、そして十周年を機会に、ともすれば忘れられている校訓の意味を再確認し、朝な夕なこの庭園をながめながら味わいたいものである。」

昭和48昨(1973)11月1日(木曜日)発刊「相高新聞」第32号より

校訓解説