瀬谷支援学校 > 地域の方へ > 学校だより「けやき」 > けやき第232号
更新日:2024年6月4日
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秦野支援学校から、今年度瀬谷支援学校に異動して参りました藤田と申します。実は瀬谷支援学校は二度目の勤務となります。一度目は平成5年のことですから、今からざっと30年も昔の話です。まだ駅前に立派なバスターミナルはなく、瀬谷中学校わきの相鉄線の跨線橋もありませんでした。瀬谷駅は北口と南口は別々の改札口で、直接南北に行き来できなかった頃のことです。
その時の学校の第一印象は、廊下を縦横無尽に走るパイプ。久しぶりにしげしげと眺めると、30年前と何も変わっていません。B棟と管理棟の間の梅も昔と変わらず青々としています。今もたくさんの実をつけるのでしょう。
気のせいか、グラウンドの築山だけは、何だか昔より「標高」が低くなったような、そうでないような。よく児童たちと芝すべりをしたものですが、あれからの年月、みんなが滑りすぎて削れてしまったのかな?なんて…。
とある朝、南門から見た満開の桜も何も変わっていませんでした。当時の児童たちが、今にもB棟の昇降口から出てきて元気に挨拶をしてくれるような、そんなタイムスリップした錯覚に陥りつつ、ふと鏡をみれば真っ白な自分の髪を見て、「これがホントの浦島太郎だな」と独り言ってみる令和6年の4月でありました。
副校長藤田