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更新日:2024年6月17日
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川井真由先生は、神奈川県から推薦を受けて、令和5年4月からJICA(国際協力機構)の青年海外協力隊の一員として、ザンビア共和国に派遣されています。
“Musale bwino!”(ムサレブウィーノ元気でいてね。(「行ってらっしゃい」の返しとして使われる言葉))
月2回を目指しつつ、5月は一度しか投稿できなかった川井です。(8月のターム休みに増刊します。たぶん。)
今回は、先月の学校の様子についてお話したいと思います。
さかのぼること1ヶ月前、コレラで年度のスタートが遅れたザンビアで、2学期が始まりました。
ザンビアには始業式や終業式はありません。私のいるコミュニティスクールでは、学期の始まりの日は顔合わせ、翌日から授業という形で、学校が進んでいきます。
5月6日、2学期のはじまりの日でしたが、学校に行くと普段の2~3割程度しか児童がいません。
校長いわく「学校が始まったことに気付いていない子どもが多いから、始まりの日はいつも人が少ないんだ。外で一緒に遊んでいた友達がいなくなって、学校が始まったことに気付くから、徐々に来るようになるよ。」とのこと。
言われてみると、1学期も最初は人が少なく、2週目の終わり頃には通常の人数に戻っていました。アフリカ時間の緩やかさを感じます。
子どもはそれでも良いのですが(日にちを知っていてくれるに越したことはありませんが)、なんとその日、先生の数は0。校長と私以外誰もいません。
これには校長も「?」。翌日以降も先生は1人来るかどうかという状態で、「さすがに先生たちが始まりの日を知らないはずはない。」と思ったものの、理由がわかりません。
1週間を過ぎたあたりでわかったのですが、4人中3人の先生が辞めていました。理由はみな「お金がなくて、生活できないから。」というものでした。
私がザンビアに来たのは昨年の7月。これまでも3人の先生が学校を去りました。
ボランティアで回しているコミュニティスクールでは、先生が仕事を続けることがとても難しいです。
私自身もボランティアという立場ですが、JICAが住居や生活費を支援してくれるので、コミュニティスクールの先生とはボランティアの意味合いが大きく異なります。言ってしまえば、コミュニティスクールの先生たちこそ「真のボランティア」なのです。
急な別れに戸惑いながらも、他の学校に移った先生や別の仕事を始めた先生、それぞれの新たな門出を心の中で応援していました。
先生はいなくても、子どもは徐々に学校にやって来ます。2年生の担任と言いながら、他の学年を教えることもあるのですが、とても身体が足りません。校長も、自ら教壇に立ちました。そして、学校が終わった後には、新しい先生を見付けるため、コミュニティを奔走していました。
5月末、3人の先生が新たに加わりました。
そのうちの一人に、なぜここで働くことにしたのか尋ねると、「子どもの頃の夢が先生だったの。私は小学校しか行ってないから、あまり難しいことは教えられないけど、子ども達の役に立てたらいいなと思って。」と話してくれました。
コミュニティスクールでは、先生の資格を持たない人も教えています。その先生は、読み書きが少し苦手で、学校に行っている子どもに教えてもらいながら授業を考えていると言っていました。
日本ならスマホやWi-Fiで簡単に調べることができますが、ザンビアの、ましてやコンパウンドでは、なかなかそうはいきません。教材や設備が十分でない中、子ども達のために努力する先生の思いに、胸が熱くなりました。
そんな訳で、ドタバタの2学期も気付けば1ヶ月が過ぎました。
学校運営はなかなか順風満帆とはいきませんが、今日もザンビアの片隅で、コンパウンドの子どもと先生と、日々活動しています。
(2024年6月5日川井真由)