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更新日:2024年10月28日

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まゆ先生のザンビアうるるんにっき24ザンビアにっき

川井真由先生は、神奈川県から推薦を受けて、令和5年4月からJICA(国際協力機構)の青年海外協力隊の一員として、ザンビア共和国に派遣されています。

Bom dia!”(ボンジア/“こんにちは”(ポルトガル語))ザンビアにっき(先生)
日本の夏の終わりから夏が始まるザンビアで、暑さにうだっている川井です。

今回は、ザンビアに暮らす難民と元難民の話をします。

かつて協力隊が活動していた縁から、今回の訪問では、メヘバで暮らす様々な立場の人に話を伺うことができました。その中から二人を紹介したいと思います。

メヘバに暮らす人々難民と元難民と~

キャンプ内でレストランを経営する女性は、コンゴで生まれ育ち、ザンビアに逃れてきたコンゴ人の難民です。レストラン

一方、キャンプ内の中学校の先生をする男性は、ザンビア生まれザンビア育ちのアンゴラ元難民です。

難民と元難民、何によって違うのでしょうか。性別生まれ育った場所?職業
答えは、国籍です。

コンゴではまだ紛争が続いており、安全に帰れる状況ではありません。それゆえ、コンゴ人は「難民」。
一方、アンゴラでは約40年にわたって内戦が続き、多くの難民が生まれましたが、2002年に内戦が終結します。終結から10年が経った2012年に難民資格が停止され、アンゴラ人は難民ではなくなりました。
アンゴラに帰れる状況となったので、難民ではなく「難民だった人(元難民)」となったのです。

 

では、紛争が終わったからアンゴラに帰れば良いか?というと話は別です。

紛争が終わったからと言って、その人の安全が守られるわけではありません。「あの人は、大変な時に逃げた人だ」と後ろ指をさされることもあれば、迫害を受ける可能性もあります。
また、冒頭の中学校の先生のように、ザンビアしか知らない人にとっては、アンゴラに帰ることが解決策とならない場合もあります。
その一方で、「難民ではない」ということになると、ザンビアに住み続けられる理由もなくなります。

では、彼らはどうなるのでしょうか? 

 

メヘバには、「キャンプ」と「リセトルメント(再定住地域)」と呼ばれる2つの地域がある、と前回書きました。
前者はザンビア内務省の管轄で、UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)が一部支援している難民が居住する場所です。一方、後者は副大統領府の管轄でUNDP(国連開発計画)が一部支援し、定住する元難民が居住する場所となっています。人々

ザンビアに残ると決めた人々に対して、ザンビア政府は「元難民」として残留を認め、土地を与えました。彼らがこの先ザンビアで暮らしていくことを後押ししたのです。

このように、難民と元難民は、呼び方だけではなく、権利も多少異なっている様です。

また、このメヘバは、ザンビアの中でも農業に向いている土地ということもあり、ザンビア人が移ってくるようにもなりました。
メヘバは、難民を受け入れる場所というだけではなく、ザンビア人と元難民が融合する新しいコミュニティの象徴ともなったのです。

 

今回キャンプ内を案内してくれたコンゴ難民の女性には4人の子どもがいます。
「元難民となってザンビアに定住したいか?」と聞いたところ、「子ども達には第三国(コンゴでもザンビアでもない国)へ行ってほしい。」と答えました。
彼らはザンビアで生まれたからコンゴのことは知らないし、ここに住み続けるより、外国に行った方が人生の幅が広がるから。」と理由を教えてくれました。

自分の国に戻ることよりも、今の場所に居続けることよりも、新しい土地への挑戦を選ぶ「難民」の姿に、私たちの想像を超える、生きる強さと彼らの置かれた特殊な環境を垣間見た気がしました。

 

(2024年9月30日由)

 

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まゆ先生のザンビアうるるんにっき24(PDF:201KB)

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