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更新日:2024年2月26日
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川井真由先生は、神奈川県から推薦を受けて、令和5年4月からJICA(国際協力機構)の青年海外協力隊の一員として、ザンビア共和国に派遣されています。
Tatenda./Shiya Boga.(タテンダ/シーヤボーガありがとう(ショナ語/ンデベレ語))
雨季なのに最近ほとんど雨が降らず、心も体も乾ききっている川井です。(連日30度超え、暑い。)
しばらく「番外編」ということで、ザンビア以外の国を紹介します。(ザンビアファンの皆さん、すみません。)今回紹介する国がどこの国であるかは最後に発表しますので、考えながら読んでみてください。
まずは地理の話から。この国はザンビアの南東に位置しています。首都はハラレです。公用語は英語、現地語は、首都ハラレではショナ語、第二の都市ブラワヨではンデベレ語などが話されています。
前回、植民地の話をしましたが、この国はかつてイギリスの植民地で、「南ローデシア」と呼ばれていました。独立したのは1980年、アフリカの中では比較的新しい国です。
ザンビアとの国境にある「ヴィクトリアの滝」や、13~15世紀に繁栄した王国の中心地「グレート・ジンバブエ遺跡」は有名な観光地で、どちらも世界遺産に登録されています。
「ジンバブエ」は、ショナ語で「石の家」を意味し、現在の国名は、この遺跡に由来しています。(もう答え出ていますね。)遺跡の中にある「鳥の石像」は国旗にも使われており、この場所は、この国の人々にとって象徴的な場所と言えます。
前置きが長くなってしまいました。地理や歴史も十分興味深いのですが、今回は、経済、平たく言うと、この国の「お金」について話したいと思います。
今から15年前、この国で世にも奇妙なお札がつくられました。その名も「100兆ドル紙幣」。右上の数字を拡大してみました。こんなにも0が付いているお札、見たことありますか?「一枚あれば億万長者ならぬ、兆万長者!」…と、いけば良いのですが、残念ながらこのお札、今は使えません。使われていた時でさえ、最終的には1円の価値もなかったようです。
では、なぜ、このお札はつくられたのでしょうか?
この国(…答えは「ジンバブエ」)は、1980年の独立を機に、独自の貨幣(お金)「ジンバブエドル」を使い始めました。
当初は、1ジンバブエドル300円以上の価値がありましたが、政府の失策やお金のつくり過ぎなど様々な要因により、その価値がどんどん下がっていきました。見方を変えると、物価がどんどん上がっていきました。物価が上がることをインフレ(インフレーション)と言いますが、2008年には、非公式ながら年率2億3000万%(1個100円のパンが、1年後には2億3000万円払わないと買えなくなる状態)という驚異的なインフレを記録。100兆ドル紙幣は、そのような異常事態の中で生まれたのです。
では、現在はどうなっているでしょうか。私は昨年末の旅行中、ジンバブエのお金(現地通貨)に一度も会いませんでした。買い物やタクシーに乗る時などは、アメリカのお札「USドル」を使いました。一緒に旅した友人は、「USドル」で支払い、南アフリカの「ランド」でお釣りが返ってきました。現地通貨はあるのですが、人々に信頼されていないので、USドルなど外国のお金で支払う方が喜ばれます。
「現地通貨はインフレがひどいので、私たちはUSドルで預金をし、必要な時に現地通貨に換えてるよ。」と、タクシー運転手が教えてくれました。また、「私たちの国は、すごく住みやすいところなのに、経済はずっとダメなんだ。」とも言っていました。
ジンバブエ最終日、空港のおみやげ屋さんで、3000円である物を買いました。写真を載せておきます。本当は「100兆ドル紙幣」を探していたのですが見つけられず、0が1個少なくなりました。「お金」としての価値はありませんが、「珍しさ」の価値により3000円で売られ、私のように買う人がいる…価値って何なんでしょうね。
(2024年2月16日川井真由 )