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更新日:2024年10月25日
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川井真由先生は、神奈川県から推薦を受けて、令和5年4月からJICA(国際協力機構)の青年海外協力隊の一員として、ザンビア共和国に派遣されています。
“Jambo sana?”(ジャンボサーナ/“お元気ですか?”(コンゴのスワヒリ語))
停電が厳しさを増し、電気がある時間よりない時間が長くなった首都に住む川井です。(数日にわたる停電が続き、冷蔵庫がただの箱になりました。)
今回は、ザンビアの難民問題についてお話したいと思います。
私は今、ザンビアで働いています。
外国人(私)が働くには政府の許可が必要で、ザンビアに着いてすぐにImmigration(入国管理局)へ行き、Employment Permit(労働許可書)の申請をしました。
そこで、名前、生年月日、国籍などを伝えたのですが、私の名前を聞いた職員が「あなたの名前、キャンプの名前みたいね。」と言いました。
その時は何を言われているのかわかりませんでしたが、その後、ザンビアの小学校5年生の社会の教科書を見た時、Mayukwayukwa(マユクワユクワ)という難民キャンプがあることを知りました。(私の名前はMayu Kawaiです。確かに似ています。)
「難民」とは、「人種、宗教、国籍、政治的意見または特定の社会集団に属するという理由で、自国にいると迫害を受けるおそれがあるために他国に逃れ、国際的保護を必要とする人々(UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)のHP(https://www.unhcr.org/jp/what-is-refugee(外部サイトへリンク))より)」と定義されています。
世界には、様々な理由で身の危険にさらされ、生まれた国を離れなければならなくなった人たちがいます。
「難民」と聞くと、どこの国や地域を思い浮かべますか?
戦争が起こっている「ウクライナ」や「パレスチナ」は、ニュースでもよく取り上げられているので、有名かもしれません。また、神奈川には大和定住促進支援センターがあった関係で、多くのインドシナ難民の方が海を渡ってきました。
では、ザンビアの難民問題は、どのような問題なのでしょうか?
独立後、内戦やクーデターを経験していないザンビアは、アフリカ大陸の中でも、極めて安定した国のひとつです。
見方を変えると、アフリカ大陸では、内戦・隣国との紛争などにより、暮らしていた国を追われた人たちが数多く生まれています。例をあげると、1994年のルワンダの大虐殺では、3ヶ月で80~100万人が殺されたと言われる歴史的悲劇の裏で、多くの難民が生まれました。
UNHCRの統計によると、迫害、紛争、暴力、人権侵害などの理由で国内外に逃げざるを得ない人の数(難民および国内避難民の数)は年々増えており、2023年末の時点で、世界中に1億1730万人います。(https://www.unhcr.org/refugee-statistics/(外部サイトへリンク))
現在、ザンビアでは10万人を超える難民、亡命希望者、その他の避難民を受け入れています。
2024年7月末のデータを見ると、大半はコンゴ民主共和国から逃げてきた人です。その他にブルンジ、ソマリアなどの難民、アンゴラ、ルワンダなどの元難民がいます(https://data.unhcr.org/en/country/zmb/761(外部サイトへリンク))。
マユクワユクワは、そんな彼らのためにつくられた場所です。
また、ザンビアには他にも、メヘバ、マンタパラという難民キャンプがあります。
先日、北西部州のメヘバを訪れる機会がありました。メヘバは、首都ルサカから車で13時間、コッパーベルトと呼ばれる銅の生産が有名な地域を挟んだ先、アンゴラやコンゴとの国境付近にある難民キャンプです。
かつて協力隊の隊員が活動していたこの地域には、「難民」の住む「キャンプ」と、ザンビアに定住することを決めた「元難民」が住む「リセトルメント(再定住地域)」と呼ばれる地域があります。
今回は、「難民」が多く暮らしているキャンプ地域を訪れ、難民の方や支援する人たちから直接お話を伺ってきました。
次回、次々回ではメヘバで見てきたこと、聞いてきたことをお伝えしたいと思います。
(2024年9月30日川井真由)