更新日:2024年2月14日
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こんにちは。校長の内田です。
2月になりました。あと2ヶ月で令和5年度も終わっちゃう。やり残したことがたくさんあるような、ないような…。
♪鬼は外~福は内~♬で始まる曲を知ってますか?タイトルは?続く歌詞は?意外と若い人は知らなかったりして。
タイトルは「まめまき」。歌詞は「おにはそと~、ふくはうち~ぱらっぱらっぱらっぱらっまめのおと~おにはこっそりにげていく~」なかなかいい感じの歌詞ですね。二番は最後のところが「はやくおはいりふくのかみ~」です。
向陽館にもたくさんのふくのかみが来ますように!!
さて、これを読んでくれている人に質問です。次の文はある作品の冒頭の文章です。作品名と作者を答えてください。書かれた時代まで言えたら、めちゃすごいです。なんかテストみたい(笑)。
1.「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。おごれる人も久しからず、唯春の夜の夢の如し。猛き者もついには滅びぬ、偏に風の前の塵に同じ。」
2.「月日は百代の過客にして、行きかふ年もまた旅人なり。船の上に生涯を浮かべ、馬の口とらへて老いを迎ふる者は、日々旅にして旅を栖とす。古人も多く旅に死せるあり。」
3.「春は、あけぼの。やうやう白くなりゆく山ぎわ、すこしあかりて、紫だちたる雲の細くたなびきたる。夏は、夜。月のころは、さらなり。闇もなほ、蛍の多く飛びちがひたる、また、ただ一つ二つなど、ほかにうち光りて行くも、をかし。雨など降るも、をかし。」
4.「つれづれなるままに、日暮らし、硯に向かひて、心にうつりゆくよしなしごとを、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるおしけれ。」
5.「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。世の中にある人とすみかと、またかくのごとし。」
5つの、ある作品の冒頭の文です。今でもすらすら口から出てきます。当然、作者も出てくるし、現代語訳も出てきます。
これらを学んだのは高校生の頃、今から40年以上前の話だと思います。覚えているからと言って、得意だったわけではありません。むしろ古文・漢文大嫌い!何を言っているのかわからないし…。よっぽど強制的に覚えさせられたんだな(笑)。だいたい漢文なんて今の日本に必要??やる意味がわからないといつも思っていました。だからできなかったんだけど(汗)。
正解は…
1.「平家物語(作者不詳)」2.「奥の細道(松尾芭蕉)」3.「枕草子(清少納言)」4.「徒然草(吉田兼好)」5.「方丈記(鴨長明)」
です。
つい最近、なんとなく徒然草にふれることがありまして、いろいろ調べてみたりしました。
枕草子の冒頭の現代語訳です。語訳については訳される方でだいぶ違うとは思いますので、あくまでも一例です。
「春は夜明け(が、いい)。だんだんと白くなっていく山際の空が、少し明るくなって、紫がかった雲が、細くたなびいているの(が、趣がある)。
夏は夜(が、いい)。月(満月)のころは、言うまでもない。闇(新月)もやはり(いい)。蛍が多く乱れ飛んでいるのや、また、(たくさん飛び交ってはいなくても)ほんの1匹、2匹と、ほのかに光って飛んでいるのも趣がある。雨が降っているときも趣がある。
秋は夕暮れ(が、いい)。夕日が(華やかに)映えて山の端にぐっと近づいた頃に、カラスたちが巣に帰ろうとして、三羽、四羽、二羽、三羽と、飛び急いでいる様子までも、心がひかれる。まして、雁などが列をつくって飛んでいる様子までも、心ひかれる。日が沈んでしまって、(聞こえてくる)風の音や、虫の声なども、また言うまでもない。
冬は早朝(が、いい)。雪が降っている早朝はいうまでもない。霜が真っ白におりたのも(いい)。また、雪や霜がなくても、とても寒い早朝に、火をいそいでおこして、(いろいろな部屋へ)炭を持って行くのも、(冬の朝に)大変似つかわしい。(しかし、)昼になって、(寒さが)だんだん薄らぎ暖かくなっていくと、丸火桶の火も、(ついほったらかして)白い灰になって(しまっているのは)、よくない。」
高校時代、これを読んで(読まされて?笑)春夏秋冬なんて毎年来るものだと思っていたし、「いとをかし」(いと=とても、をかし=趣がある)なんて、全く思えませんでした。だいたい「趣(おもむき)」ってなんだ?って、思ってましたから(笑)。
うちの副校長先生と古典・漢文について話をしたことがあります(ちなみに副校長先生は国語が専門です)。なぜ古典や漢文を学ぶのか?答えはこんな感じでした。
「嫌いだという人は多いですよね~。古典は今の自分を深く考えるための学問のひとつです。長い年月を生きてきた文章を読むことで得られるものは、大きいと思います。その時の人々の生き方や社会、自然に対するとらえ方や感じ方を知ることができるし、時代背景なども見えて、その考え方に共感したり驚いたりできるし。古典を通じて、自分の物の見方や考え方が深まると思います。でも、単純に面白いんですけどね…!」
ふ~ん、そういうもんか…。副校長先生は、やはり高校時代から、「きれいな文章」とか、「その背景が…」とか思っていたようで。きっと文章も芸術ととらえていたんですかね。今も美術館巡りや映画鑑賞が好きとか。やはり感性が豊かなんでしょう。私には…(とほほ)。
しかし、学んだ当時から40数年の時を経て、いろんな経験をしてきて、ようやく言っていることが少しわかるようになってきた気がします。ずいぶん長くかかったなぁ。明るくなってきた山際(稜線)をいつまでも見ていることができるようになったし、風の音に耳を傾けられるようになってきたし、雪が積もって、静かな朝は別世界にいるかのように感じるようになったし…。
これを機会に少し古典文学を読んでみようかと思いました。
話がまとまらなくなりましたが、高校時代にはわからなかったこと、不要だと思ったことも、いずれ役に立ったり、わかったりすることがたくさんありますね。高校時代に学んだからこそ、今があるような気がします。高校時代の勉強は無駄じゃないですね。高校時代は一番様々なことが吸収できる時期です。なんでも貧欲に学んでほしいなぁ。
私もこの年になって、知りたいこと、学びたいことがたくさんあります。もの覚えは高校生にかなわないけど、いろんなところに目を向けていきたいと思ってます。
今日はまじめにたくさん書いたので疲れました(笑)。
今日はここまでです。(了)