更新日:2024年6月26日
ここから本文です。
こんにちは、校長の内田です。
6月21日に関東地方がようやく梅雨入りしました。平年が6月7日頃なので2週間遅れです。過去3番目の遅さだとか。その分、梅雨明けは遅くなるのかと言うとそうではなく、平年並み(7月19日頃)だとか。
今年の夏は水不足にならないといいのですが…。
今月はなんだか出張が多いです。11回も入ってます。稼業日は20日間。半数以上です。土曜日は避難所運営協議会やパシフィコ横浜で全公立展もありました。
その間をぬって授業観察も始まりました。先生方の授業を見て、指導・助言をしたりします。
私は日頃から教室を回っていて、先生方の授業を見ていますが、じっくりとまではいってないので、今回は腰を据えてみようかと思っています。
何が謎かというと、正門の南側に、通称「三角公園」と呼んでいる場所があります。
そこにはコンクリートで作られたベンチが2台あり、地面はレンガ風のブロックできれいに整地されています。えんじ色のブロックに等間隔でラインのように並べられた白いブロックもあり…。もしかして駐輪場として使われていたんじゃないかと予測をする人も。そしてそこには「相模向陽館高校用地」と看板があります。
謎1…「なぜこの中途半端な三角の土地が相模向陽館の土地なのか?いつからあるのか?何に使われていたのか?」
相模向陽館の開校近くからいるN先生に聞けば何かわかるはず…。と言うことで、さっそくN先生に聞いてみました。
N先生の言葉。「私が来た時からあったよ(14年前)。特に学校として何か使っていたとかはなかったけど。」
そうなんだ。と言うことは、相模向陽館の看板はついているけどその前からあったとすると、看板は「ひばりが丘高校用地」だったのかもしれません。ひばりが丘高校当時のことは誰もわからない…。
あっという間でしたが、これ以上探る手立てはありませんでした。
しばらくして進展がありました。
6月8日(土曜)に座間市避難所運営協議会と言う会議がうちの学校でありました。本校は一時避難所に指定されており、被災した時に近隣の方々が避難されてきます。その自治会の代表の方々と座間市の防災課(?)、向陽館代表での避難所をどのように運営するかという会議です。
終わりの頃、座間市の職員の方が私に話しかけました。
「私はひばりが丘高校の2期生でした。」
おっ~~~、なんという奇遇!昔のことを知っている人が突然現れた~~!!
三角公園のことを聞いてみたところ…、ひばりが丘高校の開校当時からあったそうです。やっぱり学校で駐輪場として使ったことはなく、ただの公園だったとのこと。
そうなんだ…。結局、何も手掛かりなし。
素人考えですが、道を公園側に作れば、向陽館の敷地がもう少し大きくなったんじゃないか…。公園の横には家もあるので、そんなに簡単にはいかないんでしょうけど。
結局、わからずじまい。謎は謎のままでした。
謎2…「ここは座間市なのか?大和市なのか?」
その三角公園に「犬の落とし物の後始末を」や「フンは後始末を」という看板が4枚あります。そのうちの3枚は「座間市」と書いてあり、1枚だけは「大和市」。
どういうこと??
地図で確認をしてみると、三角公園の地番は「座間市ひばりが丘3丁目59(学校は3丁目58です)」。正門と反対側の北側は、道路を隔てて大和市になります。
座間市の看板も大和市の看板もプラスチックで作られていて、お手製とは思えないもの…。なぜ座間市の土地に大和市の看板が…。自治体に確認してもいいんだろうけど、聞かれた方も迷惑だろうし、手間がかかるし、そんなことはどうでもいいことなので聞きません(笑)。
と言うことで、これも謎のままで終了です(笑)。
今日は何も解決しないまま終わりです。(了)